1622 年長崎での宣教師らの処刑、1623 年イギリス撤退、1624 年スペイン船来航禁止、1639 年ポルトガル船来航禁止等を行い、江戸幕府は鎖国を完成させる。宣教師の手になる『日葡辞書』は鎖国をした海のむこうでスペイン語訳(1630 年、マニラ刊)、フランス語訳(フランスの日本研究家パジェス訳 1866 年、パリ刊)がなされていた。鎖国を掲げていた江戸幕府の末期にはパリの「アジア学会」や「パリ東洋語学校」での中国語研究から発した日本語研究へと東洋研究が広がり始めていた。
また、シーボルト(オランダ商館医官 1796 − 1866)の助手であったホフマン(1805 −1878)はライデン大学(オランダ)で日本学の教授となり『日本文法』(1863 刊)を著していて、これを海外での日本語教育の萌芽として見ることができる。

Last modification:March 12, 2020
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